私の気持ち (幼稚な文章)
 自分の考えや夢の バイクを作るというのは、会社にいれば、出来ない。それが自然なことである。 ともかく結果独立して、 かえってその夢を実現することをいつしかのこととし て、それ も忘れるようにして仕事をした。 社会を知れば知るほど不可能なことであった。そんなことのうちに満 天の星の幾つが流れ去っただろう、それだけの時間がひたすら家族が食べいくためだけの忙しさと不安の中 に消えていった。子供ともあまり遊べてあげ なかったのがう少しと後悔することの筆頭であろう。
 その夢を押入れにしまったまま、(“宿生の”とはよく言ったものだ)6畳一間の昭和30年代作のア パートの事務所で仕事をしていたころ中古のファックス マシンに、 ある午前中、一枚のFax があの特有の機械音を前触れにして○秘のマークとともに打ち出されてきた。
 その日も翌日もは私は空っぽのそして締め付けられるような胸を抱えた仕事を忘れた、なんともぼんやり した男になっていた。
----尊敬するおやじさんが永遠についに旅立たれた内容のものであった。

 その悲しみがようやく何かを私に自問させる形になってきた頃、仔猿は、開発にパワーをもらっていた。 設計出稼ぎでようやく訪ねることの出来たデトロイト の自動車の殿堂 fame of automobile で氏の夢というおおきな文字、S800の前に私はやはり特別の感慨をいただいていた。本当に来て良かっ た。 入社したころのの日々が脳裏に帰ってきた。
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 デトロイトで写真の笑顔に吸い込まれるようなときをすごした後、ようやく、またそのおこころを思い出 すことが出来ました。もう一回やってみろと。
 
 その引き出されたパワーに.....そうこうして、どうにか仔猿は秀逸なエンジンの供給をかこつけ、 信じるだけのマーケット ----バイク好きなら分かってもらえるはずだ、小さいけど本物---- にわずかに残された最後の資金と出稼ぎで得たお金ををつぎ込みながら、丁寧に歩みだしていくことが出来 ました。
 退職してから、忘れられてもいいほどの時間がたったというのに、会議室にまで入れてくれ食券をポケッ トから差し出し、一緒に昼飯を食べさせてくれた昔の 仲間や新しい後輩たちはこのためにどう動い てくれたのだろうか知る由も無い。 かくしてエンジンの供給はめどが付いたのだ。 私としてはただ、昔 のじゃない今の大きい会社の体制を考慮して、少しで も営業担当者が言えるような数字になるよう、売ってもらえる分は体力を使い切るほど がんばったつもりである。

 ある時点で、エンジンの継続的供給は難しいときもあるので、その時はしのいで欲しいというような内示 があった。それじゃあ大設計変更になるし、金型も使 えなく なっちゃうのに。 この愛される会社が、応援してくれているのに、一部とはいえ、何でこのようなこと を?私は考えてしまった。 それが遠回しの教えなの かも、そのように気が付き始めるのに技術屋の私はだいぶ時間をかけてしまった。  
そんなこともあるので、将来に向かって、状況整備をしておくべきだと。  そうしておくことが各部署の調整もとりやすいなど、今後の展開や、本来のバイクの楽しさを広めるCK の仕事のためになるということだと今は分かってきま した。そのひとつに、CKでも仔猿の商標登録を申請しておくべきとのことで特許庁に申請をした。   数ヶ月後、登録が出来ました。
理由なし

 なんと、シンプルな言葉であろうか、改めて言葉の力に国語劣等 点の私は感動する。 こうしたことがまた、応援をしてもらうものの礼儀としても必要なの だ。垣根は垣根ではっきりとしたほうがいいと。 かくして仔猿は登録商標になったというわけです.
別軸 
  少 年時代から 憧れつづけ、いまでも親父さんを尊敬し、元いた会社を愛するという、女々しいと思われようが、ノスタル ジックと いわれようが、心のより所と言いたい素晴らしかった日々を私に持たせてくれた会社はまだ応援をしてくれ てると感じる今日この頃。
 その後、イベントを 進めたり、各方諸処お願いなどしているにあたり、 まだ会社にいる同僚たちが、また仔猿、CKによるバイク活動をも理解応援してくれてい るひとが、社内にもOBの中にも沢山 いるということが伝わってきました。
  そ うです、仔猿はおやじさんがほめてくれるよう、ひた すら教えを引き継いだもの として、一生懸命やっていますから、きっと、仔猿そのものが私のとこ ろでなければ出来ないことをやるように、教えられたとうりにやっているから形を変えて、理解者がい てくれるんじゃないか、と思っています。これでよかった んじゃないかと初めからの気持ちを大事にすべきと思い始めています。偉大であり稀有な創業者方々の 想いがしっかりと伝承されていることに感激するように なってさせ来 ました。 だって、中学校に送ってくれたスポーツカブ、触れたことを忘れられない私ですから。
 おやじさん、私はやっております、やっていきます。
教えのとうり、自分が一番得意なことを時代に一番貢献できることを--バイクの楽しさで、バイクが 好きな子供を育て、バイクが楽しい大人たちや見守る家族のためにも私なりにもう少しやっていきま す。 時々はあの社是を思い出しております。

注)リンク切れなど、諸所申し訳ありません。
諸事情により、固有名詞などで書くと分かり易いのですが、そうもいきません。 ともかく同じベクト ルで 元いた会社では出来ないことをやらせていただけるこ との感謝の意味で記しました。

 
 



登録4877643

存続 -登録-継続
(156)更新登録日平成27(2015)年 3月 3日
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