le man - ル.マン
パリの近くには小さなサーキットがある、名前はちと忘れてしまった。思い出したら記そう。 そうだモンレリーといってった。
私の設計した、新ディメンションをコンセプトによる1978年のRCB(482)は、伸び悩んでいた481のタイムを、新しいコンセプトで新ディメンショ
ンなどを盛り込み作り直すことだった。
1978年2月頃には試作車が組みあがった。予算の少ない482プロジェクトでは、それは481の車体を利用して作るという限定があったが、管理の厳しい
今の時代では信じられないが、実は社内でも内緒で、私のわがまま?で、言ってみればsa組織で新フレームを起こしてテスト車両を作り上げたのであった。
(上司にも内緒だった)
ルマンでテストするまでには木山賢吾さんが鈴鹿でテスト走行して、剛性不足のフロント周りなどを試行セッティングしてという準備も当然あった。 木山賢
吾はテストライダー^としてすごくあり難かったのは、分からないところは分からないといってくれることだった。そういいつつ何とか走行中の現象を伝えてく
れる努力をしてくれた。
フランスに着きフランスホンダの古い工場倉庫みたいなところで、整備をし、テスト用にセッティングしてからルマンに向かったのであった。メカニックはGP
でも最高のO城さんが行ってくれ、設計屋には触らせずにパーフェクトにくみ上げ最高の状態にしたマシンにしてくれた。 世界一のホンダのワークスチーム
の最高の手によるマシンだから、これ以上のマシンはその時点で存在しない。
一旦ルマンに行った後、日帰りで現地のメカニック(M..CATION)とO城さんは、パリ近郊のそのサーキットにちょこっと行ってエンジンのセッティン
グ確認(多分)をしてきた日があった。 何か仕事が有って同行できなかったので、今でも行ってみたいと思う場所になっているのだ。
時は流れ、2005年のこと、どうにも気になることがあった。 RCB1000をホンダが出さねばならない事情、それはこのマシンに勝てなければどうにも
ならないというマシンが当時あった。 それはGODIER-GENOUD(ゴディエジュヌー)のカワサキZ1ベースのマシン。
一度本物を見たいと、ジュネーブ近くのそのGENOUDに会いに行きそしてマシンを見せてもらうことができた。 かつてのライバルメーカーの設計者が会い
に来るというのは日本ではあまり無いことらしいが、海外では普通だと思う。
さてこうして、思いめぐっているうちに、ある事がしたくなってきた。
ル.マンシリーズを遊ぼうと。
まずは仔猿で当時をオマージュしてみようと。
仔猿サイズで。 まあ時間は別です。 プラモから先かも?
バイクだけじゃない。
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